弁護士 茂木佑介
本件は、被告人が、駐車場敷地内に駐車中の軽トラック(以下「本件軽トラック」といいます。)の無施錠の運転席ドアを開け、同車助手席においてあった発泡酒1箱(以下「本件被害品」といいます。)を窃取した事件です。
被告人は、一貫して窃盗行ったことを認めていましたが、本件には以下の問題点が認められました。
本件軽トラックと本件被害品はいずれも警察官が準備したものでした(以下「本件捜査」といいます。)。
そのため、本件捜査がいわゆる「おとり捜査」、または「おとり捜査」に準ずる捜査に該当するのではないかという問題がありました。
従前より、近隣で同種の車上荒らし事例が報告されておりました。そして、所轄の警察署がこれらの車上荒らしの捜査を進めていたところ、深夜に近隣を徘徊していた被告人が疑わしい人物として浮上していました。
そのような背景がある中で、同警察署は、本件軽トラックを借り受け、本件被害品を本件軽トラック内に配置していました。
おとり捜査は、「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が、その身分や意図を相手方に秘して犯罪を実行するように働き掛け、相手方がこれに応じて犯罪の実行に出たところで現行犯逮捕等により検挙する」捜査手法であり、①「直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において」、②「通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合に」、③「機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者を対象に」行われる場合に限り「刑訴法197条1項に基づく任意捜査として許容される」とされています。
この点、①「直接の被害者がいない薬物犯罪等」は、一般に、密行的に行われ、捜査の端緒がつかみにくいという意味で、おとり捜査の「必要性」を根拠づける事情であると同時に、この種の犯罪については国家がそれを惹起したとしても個人に被害を生ぜしめるおそれがないという意味で、その「相当性」を根拠づける事情です。他方、②「通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合」とは、おとり捜査の補充性に関する判示として理解されています(宇藤崇・松田岳斗・堀江慎司・刑事訴訟法167頁参照)。そうであるとすれば、①「直接の被害者がいない薬物犯罪等」以外の被害者がいる犯罪においては、そもそもおとり捜査の「必要性」や「相当性」が限りなく低く、本来、おとり捜査は認められるべきではありません。
仮におとり捜査が認められる場合があるとしても、②「通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である」か否かは、①「直接の被害者がいない薬物犯罪等」に比して厳格に判断されるべきものであり、③「機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者を対象」としている場合であったとしても、捜査の困難性を理由に安易におとり捜査を許容すべきではありません。
そして、おとり捜査の実質的な問題性が、ⓐ国家が犯罪を創り出し、被害またはその危険を発生させること、または、ⓑ捜査の公正さを侵害することに求められる点に鑑みれば、前述の①乃至③に関する事情のみならず、ⓐ及びⓑの観点も併せた総合的観点から、おとり捜査の許否について検討すべきものです。
裁判所は、従前の捜査の経過や、当日の捜査経過及び現行犯逮捕に至る一切の事実を踏まえ、当該警察官らは、本件当日、被告人を車上狙いの現行犯で検挙する目的のもの、本件軽トラックを無人勝無施錠の状態で駐車し、その助手席上に本件被害品が放置された状況を作出した上で、被告人がこれに対して車上狙いの実行に出るのを待ち設けていたものと推認することができると判断しました。
その上で、このように「捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が、捜査対象者が自己等に対する犯罪を実行しやすい状況を秘密裏に作出した上で、同対象者がこれに対して犯罪の実行にでたところで現行犯逮捕等により検挙する捜査手法」を「なりすまし捜査」と定義しました。
おとり捜査となりすまし捜査は、おとり捜査が相手方に対する犯罪実行の働き掛けを要素とするのに対し、なりすまし捜査ではそのような働きかけが要素となっていませんが、裁判所は、「これらの両捜査手法は、本来犯罪を抑止すべき立場にある国家が犯罪を誘発しているとの側面があり、その捜査活動により捜査の構成が害される本質的な性格は共通している」ものとして、おとり捜査に関する前掲判例の要件に沿って本件捜査の違法性を検討し、結果として本件捜査は違法である旨判断しました。
その結果、本件において提出された各証拠が、いわゆる違法収集証拠排除法則に沿って証拠能力が認められませんでした。
本件では、被告の自白こそありましたが、それを補強すべき証拠がない為、刑事訴訟法319条2項によって被告人を有罪とすることはできず、被告人は無罪であると判断されました。